( 1990年40才の頃 / 35 mm FUJIFILM )
私は生まれつき霊感があり 色々な閃きのもとに
絵を書いたり 立体を作ったり 彫刻をしたりしていました
しかし10歳の時に 医師からは 心臓も悪く 原因不明の病気が多く
虚弱なので あと生きられても5年ぐらいと言い渡されていました
両親は2歳の時離婚 祖父母に引き取られていました
育ての親である祖母が きっちりそのことを私に
まるで宣告するかのように 言い渡したのです
「あんたの命はあと5年やて!」
死に対する恐怖と孤独感にさいなまれました
「神様助けて !」と布団 の中で 泣いていました
情緒不安定で睡眠薬がないと眠れない少女でした まだ 10才!
その中で自分の存在証明をするために
たくさんの作品を 創出 しました
ところが15才になってもまだ生きていたので- – –

大阪芸大に進み グラフィックデザイナーを目指していましたが
なぜか 2年生より 金工=メタルワークの方向に進路を変えました
これは何故か急にそう閃いたからです
正直自分自身でもわからないのです その結果!
あなたには才能がある! 大型新人現れる! と大絶賛!
銅や真鍮板の金属を加工するという事は 普通ではない 体力と
腕力がいるのです – – 自分でもなぜかわからないのです
その当時ガリガリに痩せていて 体重も32 kg で 病気がちでした
重いハンマー で何時間もの間 硬い金属を 打ち続けて
造形していき ロー付けや溶接などで 組み立てをして行きました
まさに作業は鉄工所の 労働者です 本当にもうしんどいのです
休むことなく どんどんと イメージや フォルムが 閃いていくのです
全く手が止まりません まるで何かに 魅い られたようです
眠っていても夢の中で作品を作り続けています
24時間脳が活性化しているようです
作品を作り始めてすぐに認められ それを受けて起業し
在学中に 各 企業 から多くのオファーを受けました
各社からのお誘いを全て言葉って自分自身でスタジオを
立ち上げました
自分自身の感性の世界に 第三者を踏み込ませたくなかったからです
なぜか頑 (かたくな)に拒否をし続けていました
でもその結果 メタルアートは 珍しいこともあって 業界では
[メタルアーティスト アキコ伊達]は 第一任者と呼ばれるように
なりました
テレビ出演 は 多く特に NHK は特別番組も組んで下さいました
その活動は専門誌にも取り上げられ 多忙極まりない毎日を
送りました プロ活動は約40年続け自分自身で幕を下ろしました
何かもう別の世界に自分自身がシフトしてしまっていることを
感じたからです 自然にもうここは違ういられないと感じました
芸術の世界というのは ひらめきの世界です
自然に降りてくるのです まさにヒーリングの世界です
目に見えない何かを感じ取って 見えるカタチにしていくものです
もちろん自分の心の中に発生する エモーション( 情緒)を表現していくのも アートの世界です
波動で感じ取って 見える形 ( 粒子 )にする それがアート 表現 です
無から有を創出する 世界 です

でもその作品群 は その年齢では 不適切なぐらい
闇の部分の表現 が多かったです
二十歳前後の 若い 女性の表現ではないような
何かをえぐり出したような 暗く 重々しい 表現が 多かったです
特に初期の作品はそうでした
同年輩の友人には評価されず 理解者は 全て年配の方々でした

今思い起こせば これらの アート活動は 全て私自身のカルマの解消だったと言えます
しかし作品制作だけでは 全てのカルマは解消などしません
部分でのガス抜きにはなっていたと思います
表現者たちは 重いカルマを背負いつつ それを表現することで
少しずつ解消させて言っていると言えるでしょう
また私の底深いカルマに共振した方々がファンとなって
作品を追いかけてくださったのでしょう
たくさんの追っかけのファンの方が 会場にお越しいただいた事を
記憶しています
今思えば ファンの皆さんもそれぞれの深いカルマを 抱えて
いらしたことでしょう~
よく一般的には 芸術家の考えることがわからない
なんだか理解不可能なへんてこりんなものを作っている- –
とにかくわけのわからない立体は全て「オブジェ?」
でもこの感覚は正しいと思います
宇宙から降りてきたエネルギーをひらめきとして捉えて
アーティストは具現化するのですから!




